院長あいさつ

外国語学習ポータルサイト「外国語でキミの世界を広げよう!」にようこそ。
われわれはこのサイトを、キミたちにとって、広い世界に通じる「窓」となることを祈って作成しました。説明しましょう。

なぜ外国語を学ぶべきなのでしょう。
ツールとして不可欠だから、という答えが返ってきそうです。
うん、正しいね。たとえば英語。英語ができないとすごく不便。逆にできるとすごく便利。
とくに研究者として活躍していこうとすると、英語を読み、書き、聞き、話せないと、もはや通用しません。また、非英語圏の国々にも英語のできる人が多くなってきました。なので、英語で自由に意思を伝えることができれば、たいていの用が足ります。たいへん便利です。
…でも、これだけ?

加藤周一という戦後日本を代表する文学者・評論家がいました。このひとが、渡辺一夫(大江健三郎の先生だった仏文学者)がなぜ戦時中に戦争批判を貫けたのかについて、次のように語っています。

しかし当然次の問題はそういう先生たちは何が支えであったのかということになりますね。それはね、そういう先生たちも、実は孤立していなかったからだと思います。
日本の中では極端な孤立ですが、しかし世界では、ことに欧米では、少なくとも知識層の中では圧倒的な多数派です。
京都の久野収さんや、渡辺一夫先生、矢内原忠雄先生たちは、日本の外に一歩出れば自分たちの言っていることは多数意見なんだということを知っていたのです。(中略)それを知っていたのはフランス語を読めたからで、だからフランス語を習う必要があるんです。(加藤周一、ノーマ・フィールド、徐京植『教養の再生のために』影書房)

渡辺一夫にとって、自分を閉じ込めていた日本社会からその外部を覗き、こんどは外からの視点でなかに閉じ込められている自分たちの姿を眺める、そのための「窓」がフランス語だったんですね。
自分を閉じこめている国家・社会、もっと一般化して言えば「思考の枠組み・限界」という「壁」。その壁に穿たれた窓を通じて外部を知ることによって、はじめて自分を相対化することができる、というわけです。
もちろんフランス語に限った話ではありません。英語、ドイツ語、中国語、何語でも窓になる。窓を欲している人にとっては。

窓を通して見た世界はとてつもなく広い。いま自分があたりまえだと思っていることはちっともあたりまえではない。違った仕方で世の中を見ることができるようになる。いまとは違った社会の形がありうることを知る。違った幸せの可能性に気づく。そのための自己相対化の視点を与える。これが教養という観点から見た外国語学習の最大の意義だと思います。

だからこそ英語だけじゃダメなんだ。
なぜなら、英語ができるようになると、こんどは英語がキミたちを閉じ込める新たな壁になってしまうかもしれないから。世界を英語的な視点でのみ眺め、どこにいっても世界共通語の英語が通じるとばかりいきなり英語でコミュニケーションを図ろうとする、こういう「グローバル英語バカ」にならないために、英語以外の外国語も学ぶ必要があるのです。

私は非英語圏の国々を訪れるとき、ちょっとだけ現地の言葉を勉強してから行くことにしています。せめて挨拶と「ありがとう」、できれば食事の注文ぐらいは現地の言葉を使ってみたいから。…結局、「すみません、英語で話していいですか」になることがほとんですけど。
バルセロナに行ったときには、カタルーニャ語を少し齧ってみました。スペイン語にもフランス語にも似ている言葉です。「お願いします」はスペイン語ではPor Favorですが、カタルーニャ語ではSi us plauです。フランス語のS’il vous plaîtに近いですね。
ご存知のように、カタルーニャ州はスペインの一部になっていますが、独自の文化と伝統をもち、独立への動きの強いところです。レストランでカタルーニャ語を使ってみようとしましたが、案の定、しどろもどろになりました。でも、係のおねえさんが、Thank you for trying to speak Catalan.とにっこり笑って、デザートをサービスしてくれました。「話してくれて」じゃなくて「話そうとしてくれて」というのが悲しいですが…。

このポータルサイトは、キミたちが外国語を学ぶときに役に立つ、名古屋大学で利用可能なリソースがすべて一覧できるようになっています。集めてみると、けっこうあるんですよ。活用して外国語学習に役立ててください。
そしてより大きな精神の自由を獲得してくれることを祈っています。

教養教育院院長

戸田山 和久

Kazuhisa Todayama

アイルランドの海岸です。英語とアイルランド語で書いてあります。このあと見事にころんでドロドロになりました。